■市街地計画・碁盤の目状構想
1869(明治2)年に北海道開拓使が置かれ、
「札幌」の建設が始まりました。
札幌の都市計画の始まりは、開拓使長官の
島義勇によって策定された、東西南北に街区を
分け、 一里四方の格子状に配置する市街地
計画が始まりとされています。
南北の基軸は当時、後志通と呼ばれた現在の
「大通」とし、北に官庁街、南に住宅・商業街。
東西の基軸には「創成川」とし、東側に工場が
置かれました。
現在の札幌市の中心街の住所も、この基軸に
沿っています。
創成川の東岸を東○丁目、西岸を西○丁目、
大通を挟み南北にそれぞれ、北一条〜、
南一条〜と続きます。
札幌中心街を歩く時には、碁盤の目の基軸を
念頭にして歩くと歩きやすい構造になっています。